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  • 専門学校中退から通信制大学卒業までの6年間

    専門学校中退から通信制大学卒業までの6年間

    通信制大学に入り直した理由

    専門学校を退学したのは21歳の3月頃でした。

    理学療法士になるという目標を失い、自分がこれから何をしたいのか分からなくなっていました。

    特にやりたいことも見つからず、とりあえず働きながら考えようと思いました。

    そんな時、たまたま見かけた派遣会社のチラシが目に留まりました。

    応募してみると採用され、3月中旬頃から働き始めることになりました。

    勤務先は住宅ハウスメーカーの工場でした。

    主な仕事は、外壁パネルをクレーンでベルトコンベアへ搬入・積載する作業です。

    仕事を始めるにはちょうど良い業務内容で、少しずつ社会人としての生活に慣れていきました。

    このままでいいのだろうか

    仕事を始めて数か月が経った頃でした。

    毎日、

    朝起きる

    仕事をする

    ご飯を食べる

    寝る

    そんな生活の繰り返しでした。

    もちろん仕事に不満があったわけではありません。

    ただ、どこか物足りなさを感じていました。

    「このままでいいのだろうか」

    そんなことを考える日が増えていきました。

    何か新しいことに挑戦したい。

    そう思い、インターネットで色々と調べ始めました。

    通信制大学との出会い

    そこで知ったのが通信制大学の存在でした。

    正直なところ、専門学校を中退したことに対して、ずっと心のどこかで引っ掛かりがありました。

    履歴書に「中退」と書くたびに複雑な気持ちになりました。

    だからこそ、

    「次は必ず卒業という形で終わらせたい」

    という思いがありました。

    通信制大学を探す中で、私が選んだのはIT系の通信制大学でした。

    当時の私はITに特別な興味があったわけではありません。

    それよりも、働きながら学べること、そして大学卒業という学歴を得たいという気持ちの方が強かったと思います。

    仕事を続けながらでも挑戦できる環境だと感じ、入学を決意しました。

    通信制大学は想像以上に大変だった

    10月から通信制大学へ入学し、仕事と学業の両立が始まりました。

    当初は4年で卒業することを目標にしていました。

    しかし、通信制大学は想像していた以上に大変でした。

    通学制の大学であれば、何曜日の何時にどの授業があるか決まっています。

    一方で通信制大学は、

    「〇月〇日までに受講してください」

    「〇月〇日までにレポートを提出してください」

    というシステムです。

    自由度が高い反面、すべて自分で管理しなければなりません。

    勉強するも勉強しないも自分次第です。

    そのため、継続することの難しさを何度も感じました。

    それでも1年目、2年目前期までは順調でした。

    約20単位を取得し、このまま卒業まで進めると思っていました。

    コロナ禍と転職

    しかし、仕事と学業を始めて半年ほど経った頃、新型コロナウイルスが流行し始めました。

    工場の業務量も減少していました。

    ニュースでは派遣社員の契約終了が連日報道されており、

    「自分も仕事を失うかもしれない」

    という不安を感じていました。

    そんな時、一緒に働いていた方から営業職の正社員を紹介していただきました。

    安定した正社員になれるならと思い入社を決意しました。

    しかし、今振り返るとこの選択は簡単なものではありませんでした。

    仕事と学業の両立が崩れた

    営業職は帰宅時間が遅く、仕事が終わるのは19時から22時頃でした。

    帰宅後に食事や入浴を済ませてから勉強していましたが、疲れて途中で寝てしまうことも少なくありませんでした。

    仕事も中途半端。

    勉強も中途半端。

    精神的にもかなり追い込まれていました。

    結果として、その会社は3月に入社し8月に退職しました。

    再び転職

    その後、10月からカスタマーサポートの仕事へ就きました。

    勉強時間は確保しやすくなりました。

    しかし今度は毎日のクレーム対応や、一日中座り続ける仕事が自分には合いませんでした。

    体力的というより精神的にきつかったことを覚えています。

    結局、その会社も翌年2月に退職しました。

    短期間で2度の離職を経験し、仕事と学業の両立の難しさを痛感しました。

    目標を4年から6年へ

    当初は4年で卒業するつもりでした。

    しかし現実的に考えると難しい状況でした。

    そこで私は考え方を変えました。

    4年卒業にこだわるのではなく、

    「必ず卒業する」

    ことを目標にしたのです。

    卒業目標を6年へ変更しました。

    もちろん途中で辞めようと思ったこともあります。

    ですが、自分で決めたことを途中で投げ出すことだけはしたくありませんでした。

    卒業という目標達成

    その後、段ボール製造会社へ転職しました。

    仕事と学業を両立しやすい環境に恵まれ、少しずつ単位を積み重ねていきました。

    約5年間勤務しながら学び続け、昨年10月に無事卒業することができました。

    4年卒業という目標は達成できませんでした。

    しかし6年で卒業するという目標は達成できました。

    振り返ると決して順調な道ではありませんでした。

    それでも諦めずに続けた経験は、自分にとって大きな自信になっています。

    遠回りでも続ければ目標は達成できる。

    通信制大学で学んだことの中で、一番大きな学びはそれかもしれません。

  • 原因不明の吐き気に苦しんだ学生時代

    原因不明の吐き気に苦しんだ学生時代

    私は専門学校時代に自律神経失調症と診断されました。

    しかし今振り返ると、症状の始まりはもっと前だったように思います。

    小学6年生の夏

    最初に異変を感じたのは小学6年生の夏休みでした。

    家族旅行から帰宅した日の夜、寝ようとすると強い吐き気に襲われました。

    何度も寝ようとしましたが気持ち悪くて眠ることができません。

    その状態が1週間ほど続きました。

    病院も受診しましたが、「特に異常はない」と言われました。

    当時はサッカーをしていましたが、走ると気持ち悪くなることがありました。

    それでも周囲に迷惑をかけたくないという気持ちが強く、誰にも詳しく話しませんでした。

    いつの間にか症状は落ち着きました。

    しかし私は心のどこかで思っていました。

    「もしまた同じ症状が出たらどうしよう」

    その出来事は私の中で大きなトラウマになっていました。

    中学3年生で再発

    最悪の出来事は中学3年生の夏に起こりました。

    お盆休み前のサッカーの試合中、走っていると突然吐き気に襲われたのです。

    その瞬間、小学6年生の時の記憶がよみがえりました。

    私は前半途中で交代しました。

    お盆休み中に治るだろうと思い、顧問の先生には「太ももに違和感がある」と嘘をつきました。

    しかしその夜、再び強烈な吐き気に襲われました。

    さらに食事も思うように取れなくなりました。

    お腹は空いているのに食べ物が入っていかないのです。

    無理に食べようとすると吐きそうになる。

    今でもカレーライスを半分ほどしか食べられなかったことを鮮明に覚えています。

    誰にも理解されなかった

    お盆休みが終わり、練習が再開しました。

    軽い運動でも吐き気が出る状態だったため、私は顧問の先生に肉離れをしたと嘘をつきました。

    今思うと、なぜ正直に相談しなかったのだろうと後悔しています。

    その後、いくつもの病院を受診しました。

    しかし「異常はない」と言われるばかりでした。

    私はどうしていいか分かりませんでした。

    苦しくて、一人で抱え込むことも限界になっていました。

    そんな時、勇気を出して部員の一人に症状を打ち明けました。

    話したことで少し気持ちが楽になりました。

    しかし後日、その話は部員全員に広まっていました。

    そして笑われました。

    「そんなことあるわけないじゃん」

    その言葉は今でも忘れられません。

    私は誰からも信じてもらえないのだと思いました。

    人間不信になり、人を信じることが怖くなりました。

    その後、最後の公式戦を終えて引退しました。

    正直なところ、不完全燃焼でした。

    しかし当時の私は、部活が終わることに少し安心していました。

    高校時代

    高校は隣町の公立高校へ進学しました。

    中学時代に比べると、眠れない症状は少しずつ改善していきました。

    しかし、食事が思うように取れないことや、運動をすると吐き気が出る症状は続いていました。

    体重はどんどん減っていき、身長175cmに対して体重は50kgほどしかありませんでした。

    周囲から「細いね」と言われることも多く、自分でも体のことが気になっていました。

    高校生活は決して楽しいものではありませんでした。

    中学時代の経験もあり、人との関わりに慎重になっていたように思います。

    友人も1〜2人ほどで、一人で過ごす時間が多かった記憶があります。

    そんな中で、唯一楽しいと感じられたのがテニス部での活動でした。

    サッカーとは違い、症状が強く出ることも少なく、純粋にスポーツを楽しむことができました。

    高校時代は決して充実した学生生活とは言えなかったかもしれません。

    それでも、テニスを続けながら何とか学校へ通い、自分なりに毎日を過ごしていました。

    今でも分からないこと

    その後、理学療法士を目指して専門学校へ進学しました。

    運動する機会は減り、以前のような症状はあまり出なくなりました。

    しかし、食事が思うように取れない状態は続いていました。

    そして専門学校2年生になった頃、人前で発表したり実習を行ったりする場面で再び体調を崩すようになりました。

    精神科を受診し、当時は自律神経失調症と診断されました。

    ただ、今でも一つ気になっていることがあります。

    それは運動時の症状です。

    私の場合、1500m走やマラソン大会などの激しい運動をすると、数分で強い吐き気が起こり、顔面蒼白になることがありました。

    この症状が本当に自律神経失調症によるものだったのかは今でも分かりません。

    しかし確かなのは、この経験によって健康の大切さを学んだということです。

    そして同時に、苦しんでいる人の気持ちを少し理解できるようになった気がします。

    今では遠回りだったとしても、この経験は自分の人生の一部だったと思っています。